ひとつ前のお話はこちら
「へ・・」
立ち止まり、掴んだ腕の主へと視線をあげる。
「おまえのせいで腹が減った… ちょっと付き合え。」
無茶苦茶だな・・ 自分でもそう思う。
咄嗟に腕を掴んだくせに――
「えっと・・ はぁ。」
だがシンは休憩室から慌てて飛び出してきたために
身につけているのは携帯とわずかな小銭のみ…
「ちょっと待ってろ・・ 荷物をとってくる。」
そう言い残し、足早にエレベーターホールへと消えたシン
はぁ―――
おまえのせいで腹が減ったって…
私が美味しそうなローストチキンにでもみえた訳?
ひとり取り残されたロビーでチェギョンは唇を尖らせる。
ほんの少しだけ・・ 期待した
『待てよ・・ 帰るな。』 そう言われて… なのに――
ダメダメ・・ チェギョン。
ブンブンと大きく頭を横に振る。
あんた、先輩との事は忘れるんでしょ…
先輩には生半可な気持ちでは近づいちゃダメなのよ
先輩はもう女の人を好きにならないって言ってるんだから・・
生半可な気持ちで近づいたら、きっと・・
「待たせたな…。」
「あっ、いえ・・ 。」 フルフルと小さく首を横に振る。
「じゃあ、行こうか――。」
シンと共に会社を出た。
「おまえ、飯は食ったんだよな…?」
「えぇ。」
「じゃあ、飲みにでも行くか・・。」
「ダメですっ! 飲むだけじゃあ… ちゃんと食事をとらなきゃ・・」
咄嗟に出たチェギョンの大きな声に、驚いたようにシンの片眉がヒクりとあがる。
そんなシンの表情を見て、反省するように肩を窄め、俯きがちに視線だけでシンを見る。
「先輩、お腹すいてるんでしょ?」
「あぁっと、まぁ…。」
空いてるって言えば…空いているが・・
別に飯なんて、どっちでも良かった… おまえともう少し、一緒にいられるのなら。
それにしても一瞬、飲みに行くのを断られたのかと思った。
それだけで、こんなにも心がざわつくなんてな・・
「この通りの先にあるカフェに行きませんか?
此処からも近いですし・・
昼にガンヒョンとランチに行ったことがあるんですけど、
メニューも豊富で、夜はアルコール類も置いてるらしくて…。
一度、夜にも行ってみたいねって話してたんです♪」
そうそう、行ってみたいね…って言ってたけど、
ガンヒョンはすっかりチャンさんのお店に入り浸りで…行くことがなかったのよね。
「じゃあ、そこにするか。」
目的地までは車に乗るほどでもなく、たわいもない話をしながら2人並んで歩く
肩をくむわけでもなく・・ 手を繋ぐわけでもない。
「あれっ、シンじゃないか。」
向かいから歩いてきたカップルの男の方が、にこやかに手をあげ、シンに声をかけた。
脚を止めたシンの表情が微妙に曇る。
「ユル・・。 久しぶりだな…」
「あぁ… 久しぶり。」
ユルが興味深げにシンの横にいるチェギョンに視線を向けた。
「ねぇ、この人は?」
紹介しろとばかりシンを見るユル。
「あぁ… 彼女はシン・チェギョン。 会社の後輩だ。」
シンに紹介されチェギョンはペコリと頭を下げた。
「へぇ… 後輩ね。」 意味深にクスリと笑うユル
「僕はイ・ユル。 シンの従兄弟ね。こっちは僕の妻のジョンアン。」
ユルの隣に立つ、スレンダ―な美人がニコリと微笑み、軽く会釈をする。
チェギョンは慌てて、再び頭を下げた。
えっと… ユルさんて言ったら…
表情に出すことなく頭の中で考える
じゃあ、こ・・この人がイ先輩の―――!
細くて綺麗で…素敵な人・・
「僕達、今、食事を終えて、今度はホテルのバーででも飲もうかって言ってるんだけど…
シン達も良かったら、一緒にどう?」
「いや・・ 今夜は遠慮しておくよ。」
「そう?」
チェギョンがシンの肘のあたりの上着をガシッと掴む。
「先輩っ、他のみんなが待ってますよ。
そうじゃなくても仕事が押して、みんなよりも遅れちゃってるのに…。」
「なんだ… 2人だけじゃなかったのか・・じゃあ、仕方ないな。」
ユルは諦めたのかシンの肩をポンと叩いた。
「あっ、そう言えばシン、じいさんが顔を見せろって言ってたぞ。
それに、はやく今の会社を辞めて、うちに来いってさ。」
「あぁ・・じいさんにはそのうち会いに行くさ。」
「そうか。
じゃあ、じいさんにはそう伝えておく。
あと、じいさんの処に行った際は、僕の家にも顔を出してくれよな。」
軽く手をあげ、シンに別れを告げるとユルは再びジョンアンの腰に手を廻し歩き始める。
ユル達が離れていくとシンはふぅーっと軽く息をつき、前髪を軽くかきあげた。
「気を使わせたみたいだな・・。」
まだ誘いそうな雰囲気のユルを諦めさせようと、
他の社員との飲み会がある様に思わせてくれたチェギョン
「あっ・・いえ…。」
フルフルと軽く首を横にふったチェギョン。
3年経ったとはいえ…
彼女の事・・嫌いになって別れた訳じゃないのだろうし。
それに、もしかしたら先輩は今だって―――
「飯はまた今度な。」
「えっ…。」
シンは通りに出て、タクシーを捕まえるべく、手をあげた。
捕まえたタクシーにチェギョン一人を乗せると、
シンは運転手に行き先を告げ、紙幣を手渡す。
「先輩は?」
「少し風にあたって帰る。」
「じゃあ、私も――。」
こんな先輩をひとりになんてしたくない。
チェギョンはタクシーから降りるべく、腰を軽く浮かせた。
「ひとりに・・なりたいんだ。」
そう告げると、シンは運転手に目配せをした
はやく車を此処から出す様にと…